あの子に会ったのは、僕が死んだ日だった。
…昔。まだあの世界で生きていた頃。
僕は、勉強ばかりしている子供だった。
きっかけは、父さんの卒業論文を(ちなみに理系だった)
たまたま母さんが部屋の掃除をしている最中に見つけて読んで、
内容を理解した上で感想を口にした事だった。
父さんも母さんも、すっごく驚いて。
それはもう沢山褒めてくれた。
二人の笑顔が嬉しくて、もっと喜ばせたい、って思ったその日から、
大学院生の父さん(当時23歳)の横で、僕は勉強を教えて貰うようになった。
父さんは、人に何か教えるのが好きだという人だった。
上手なのに嫌味な感じは全くないというか…そういう性格なんだろうなって子供ながらに思った。
邪魔だとか、あっち行ってろだとか、そんな事全然言わなくて。
…そんな優しい父さんが、大好きだった。
彼には自分の研究所を持つという夢があって、それを僕は知っていたから。
いつか一緒に研究が出来たらいいなと思っていた。
でもそれが簡単な事ではないという事も薄々気が付いてたものだから、
父さんに色んな知識を貰って、頭を良くしようと思って。
早く家に帰りたかったから、同級生から遊びに誘われても断っていた。
その結果、ノリが悪いって言われて相手にされなくなって(幸いな事にいじめは無かったけど)
学校ではひとりぼっちになってしまった。
…それでも、楽しかった。
家に帰ったら父さんと勉強してたし、母さんが美味しいご飯を作って待っててくれたし、
3歳の妹は僕の後ろを付いて回って甘えてくれて可愛かったし。
でも、幸せが長く続く事は無かった。
雨が降っていた夕暮れ。
傘を忘れて行ったらしい父さんの為に、母さんが傘を届けに行くって出掛けようとした時。
代わりに行ってくるから、朱櫻と待ってて。
僕はそう言い残し、傘を持って家を飛び出した。
その道中だった。
余りにも急な出来事だったから、一瞬何が起きたのか頭が追い付かなかった。
でも視界の端で、走り去っていく車がちらりと見えたから…あ、轢かれたんだ、って分かった。
体中が軋んでいる感覚。
血が流れ出ている感覚。
これは助からないなって悟った途端、逆らえない眠気が襲ってきて。
抗う力も無く、意識を手放した。
筈だった。
僕は目を覚ました。
何というか…分かりやすく言うと、あれ。
幽体離脱してたんだよね。
起き上がって下を見たら血塗れになってる僕が居たから、間違いない。
余りにもグロかったからすぐ目を逸らしたけど。
参ったなー、こんな姿になってどうすりゃ良いんだろうなーって
自分でも今思うとゾッとする位、やけに冷静に悩んでたら。
ふと。
行かなきゃいけない、って気持ちが胸の中にぶわっと湧いて出た。
父さんの大学院じゃない。
違う方角。
何でなのかとか、何処に行こうとしてるのかとか、勿論全く分からないんだけど…
此処でずっと大人しくしてる訳にもいかないと思ったし、その衝動に従う事にした。
気の赴くままに進んでいたら、いつの間にか一本の大きな桜の木の前に立っていた。
どうやら僕の目的地は此処だったらしいって事が、本能的に分かった。
気付かない内に、幹に手を伸ばしていた。
その時だった。
『それに触れたら、もう二度と戻れないですよ』
頭の中で、そんな声が響いた。
思わず手を引っ込めると、声は続けて言った。
『貴方は、また家族に会いたいと思う?』
「うん」
相手が誰かは分からないけど、思わずそう頷いた。
そしたら、目の前が…というか、視界が白に染まって。
瞼を開いた時には、僕は神様の住む城に居た。
そして少し離れた先に、あの子が立って居た。
夜、対峙した時の様に。
「あ、はっけーん!」
聴き慣れた声がして、考え事を止める。
視線を向けると、ルピナスと桜ちゃんが居た。
自然と頬が緩んだ。
僕は口を開いて。
此方に向かって来る、大事な友達に声を掛けた。
「やっと来た~!もー、お腹空かせて待ってたんだから~」